捻くれ者の私の場合、幸せや成功の定義が他人と違うこともある。
今は周りにいる素晴らしい人たちのお陰で年収も上がり(高所得者かどうかではなく前年比の話)、かなり素敵な友達が(頻繁には会えないけど)何人かいる。
でも、それが幸せや成功かと聞かれるとそうじゃない。
私が今までやってきた仕事の経歴書を読むと、すっごく仕事が出来そうに見えるけど、実際は全くそうじゃないと思う。
見せ方や書き方で受け取り側は過大評価する。
目に見える実績や結果がただの文字列で、私の人生に潤いやバイブレーションをくれるものではない。
最近仕事の商談中、自分の経歴を話していてもう一人の自分がこれは本当に自分なのか?と他人事のように思った。確かに全部経験していることが書かれている。
でも文字にすると、読む側のイメージによって大きくも見え、小さくも見え、大体大きく見えることの方が多い。
そう思った時、私の魅力や幸せの感覚って簡単に言葉で表せるものではないなって思った。
私が最近幸せに思ったことは文字にすると変だけどこんな感じ☟
① ロンドンで素敵な中国人と出会い、迷惑をかけたり、感覚の違いでびっくりしたりしたこと
② インド人Manuと感情をぶつけて喧嘩したこと
③ ベローナで時間にルーズなホステルに滞在して待ちぼうけしたこと(その時は爆発する程イライラしたが疲れの方が勝ったw)
④ ロンドンで超絶失礼な日本人男子に出くわして、怒り爆発したこと。(喧嘩は吹っかけていないw)
⑤ ホームステイ先のルームメイト2人はスパニッシュだった為、私だけ会話に入れないことも多々あったこと。
⑥ パリで仲良くなった女性が待ち合わせに来ず、「日本じゃありえない!!」ってイライラしたこと。(喧嘩は吹っかけていないw)
ここだけ切り取れば、残念な出来事で、子供っぽい残念な私である。
でもこの経験の中に、沢山の酷い感情や、日本では経験しないことで頭の中をぐるぐるさせることが詰め込まれていて、この過程の一つ一つと、その後の自分が変化した感覚だけが記憶に残り、幸せだなって思う。
これは仕事柄そう思うのか分どうかわからないがが、私がクライアントと接するとき、沢山の色んな感情を開放してもらって自分を受け入れてもらっている。
私はどんな状態でもクライアントを尊敬しているし、愛されるべき人としか思っていない。
そんな私が、人前で醜い自分を出さずに綺麗ごとばかり言ったり、ブログに書いたりするのは、吐き気がするほど気持ちが悪いと思った。
恥ずかしい思いもいっぱいして、悲しんだり、損したり、貧乏になったり、みっともない自分になった時にしか気づけないことも多いし、助けてくれた人や向き合ってくれた人の存在は忘れられない。
(ただ、変な勧誘にはご注意をw)
そして、最後は「ああ、、、なんか、おもろい経験したな。」で終わっているw
結果的に、なんだかんだで、
その経験があったからこそManuとは親友のように仲良くなったし、
中国人のお友達の懐の大きさに感動して、
パリで出会った素敵な女性とは東京に来る際に一緒にお泊りすることになっているし。
(メルボルンに行った際もフランス人とかイタリア人は割と約束を破る人多かったから、自分の物差しでジャッジしたら身が持たないことを思い出したw)
今思えば大した問題は何もないんだけど、良いとか悪いとか、そうではなくてその時その時のやり取りした経験があるからこそ幸せだなって私は思う。
・・・ドMなのかしらw
でもこれが私の幸せの定義の一つなのだ。
旅する魔女keiko