昨年の8月に私はマレーシアからジャカルタへ向かい、友人のアリシアちゃんに会いにいきました。
その時、私が目にして感動した忘れられないエピソードがあります。
京都の姉妹都市であるジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡に参拝した後、休憩がてらココナッツミルクを頂いた時のこと。
私達が座っているテーブルに物売りのお婆ちゃんが来ました。
おばあちゃんはマンギスという果物を買わないか?と言っていました。
(Wikipediaより ※タイではマンゴスチンと呼ばれています)
アリシアちゃんはとても優しい笑顔で「頂きます。私、これ大好きなんです。」と言ってお金を両手で渡しました。
余りにも素敵な姿にハッとしたのですが、また別のおばあちゃんが今度はお菓子を売りに来ました。
それは茶色くてぺったんこで見たこともない伝統的なお菓子だったので、今度は私が試しに買ってみることにしました。
また別の人が近づいて来ました。
その人は男性で、物売りではなく弾き語りです。
非常に微妙な歌唱力で堂々と歌い終えた後、空の缶詰を私達の目の前に突き出しました。
とても心苦しいのですが、払える気にはなりません。
だってお願いしていないのですから。
アリシアちゃんは仕方なさそうにコインを缶に入れました。
多分50円くらいの金額だと思います。(お賽銭か!w)
すると、その男性は非常に険しい顔をしてアリシアちゃんを睨みつけました。
でもそれ以上払う気がないので、「これ以上お支払い出来ません。」と伝えていたと思います。
その男性が去った後、アリシアちゃんは言いました。
「とても失礼なヤツ。ありがとうも言えないの!?」
はい。・・・当然の反応です。
私達がココナッツミルクを飲み終え、車に戻る道中に、木陰に座って目の前には誰もいないのに細い手をずっと前に出している老人がいました。
それを見たアリシアちゃんは足早にそのご老人の元へ行き、その細い手を両手で包みながらお金を渡していました。
インドネシア語なので何を言っているのかわかりませんでしたが、とても優しい顔でそのご老人に話しかけていました。
私はその姿が余りにも綺麗で忘れられません。
アリシアちゃんがその場から離れ一緒に車に乗った時に私は思わず聞きました。
「私は日本にいる時、ホームレスの方が目の前にいてもお金を渡したことはないのだけど、ジャカルタの人たちはそうやってお金をあげるのが当たり前なの?」と。
するとアリシアちゃんは
「さっきの音楽家にお金を与えたいとは思わない。
でも私は心からあのご老人に受け取ってほしいと思った。
だって、もし私が年をとって足も不自由になり働けなくなったのに、食べるものもなかったら、どうしようもない場合、自分が物乞いをするかもしれない。
その日ご飯が食べられたらどれだけ助かるか。
働けるのに物乞いをする人にはあげないけど、もう物乞いをするしかない人なら渡したい。
よく、人を区別せず平等に接しないといけない。と言うけど、私は人を選ぶ人間です。私は心の綺麗な人を選ぶの。」
と言いました。
中国の老子の言葉で「授人以魚 不如授人以漁」とありますが、もう魚の取り方を教えても体力的に取れないような人には魚を受け取って欲しい。ということなんだと思います。
多分、物乞いにお金を渡すというのがジャカルタでは当たり前というわけではないけど、国によって背景も宗教も違うし、時に必要なことなんだと思います。
たとえば中国の場合は、物乞いには色んな曰く付きの話があるので、簡単には何が正しいか判断出来ません。そもそもお金を渡す渡さないという話ではなくて、私はご老人と話しているアリシアちゃんの姿に感銘を受けたのです。
その理由は、なんだかハッキリした言葉に出来ないのですが、
きっと、見ず知らずの人のことも自分のことのように考えられて、自分が出来ることを心からの行動にして、相手に敬意を持って声をかけられる彼女の心の豊かさを感じたし、日本でそんな子を見たことがなかったからだと思います。
私が彼女と同じ22歳の時、そんな心の豊かさはもっていなかったし、宗教の教えだけじゃなく自分の考えもしっかり持ち言葉に出来るって強いと思うんです。
今の年齢になった私でも敵わないと思ってしまう。
ただ、そんな姿を目の前で見てからは、自分もそうであろうと思わずにはいられない。
ジャカルタまで会いに来て良かったと思うエピソードでした。
因みに………彼女は多くの男性にモテます。
昨年9月に結婚をしましたが、旦那さんがどうしても彼女と結婚したいと求婚されたようです。
そりゃそうでしょう。
こんな女性と人生を共に出来たらどんなに日常が優しい空気に包まれるか。
しかも仕事にもやりがいを持ってイキイキと頑張っています。
アリシアちゃんは私にとって理想の女性の1人なんです。
またジョグジャカルタに行きたい旅する魔女keikoでした。