確かに周りとの同調とか空気を読むとか気にしすぎている人が多いのかもしれません。
例えば、外国人から観た日本は「他の人のことを考えて行動する民度の高い国民性だ!」とかメディアで見ると全体的にみるとそうなのかもしれないけど、「常に無意識に他人から監視されているような感覚で目立った行動が取れない」のかもしれない。
前者ならとても素晴らしいことなのだけど、後者なら自分のことしか本当は考えていないのかもしれません。
それを言う私はどうでしょうか。
私は、前者の時もあれば後者の時もある。
疲れていたりヤル気がない時とかは、稀に会議の発言や集団行動を無難に済ませたりする。
だって人間だもの。(なんて便利なセリフなのだろう✨)
他人の目や評価を気にしてしまうのは大衆の中に自分がいると思っているから
この壮大な世界の大衆の中に私がいて、ゾロゾロと同じ方向(未来に、又は次元上昇)に行かなければいけない感覚があるとしたら自分と大衆を切り離して考える必要があると思います。
私は「自分という存在が自分の世界に生きている」と考えています。
自分の世界の主導者は私であり、私だけが進む方向を決めることが出来るし、私だけが評価することが出来ると考えています。
だから私の世界に私と同じように評価をしたり決断をすることは基本的にはありえない。
でも、他人の存在を軽視するのかと言えばそれは違う
「自分という存在が自分の世界に生きている」のと同じように、他人は他人の世界を生きていると考えています。
だから私自身も他人の人生を評価することは出来ません。
自分の人生(自分からの視点で見る世界)しか自分は見ることが出来ないし、生きていくことが出来ないのだから、あたかも理解できたように評価することは傲慢すぎるのではないかと思っています。
じゃあなんでもやって許されるのかというとそれも違う
私は子供の頃までは命の考え方は世界共通だと思っていました。
でも命に対する考え方は国や文化で違うのです。
稀に異端的な人もいるかもしれませんが。
日本は人の命は自分だけの所有物ではないように考えられています。
だから、なるべく永命させようとするのでしょう。
でも欧州では、自分で生きられなくなったらそれは寿命として亡くなります。
どこの民族か忘れましたが、産まれたばかりの赤子が頭髪が少なければ劣性として殺すのが当たり前の地域が世界の何処かにあります。
(思い出したら追記します)
狩りに足手まといなトロい人も速攻で殺しますが、それはその民族が平和で幸せに生きるための行為なわけです。
でも、それを私たちが「なんて野蛮な!」とはジャッジ出来るかと言うと私は出来ないと思っています。
私たちが周りと共通の認識で「これはしてはいけない」と線引きがあるのは、憲法だったり法律や文化があるからで私は日本人として日本で生活しているので、ルールに則って生きるのが基本だと考えています。
もしその憲法やら法律が自分にとって不利益になるなら、他の国に移住するか、政治家になれば良いと思います。
そして、もし私が海外旅行でシリアやベネズエラとかに行ったらその地域の文化やルールに則って行動しないと危険な目にあっても文句が言えないと思います。
私は私として私だけが見ている舞台で踊るしかない
自分がこの命をどう活かして自分が満足いくように生きるかだけを追求していくのが私の中での正しい生き方だと考えています。
世界共通で何が正しいかは、神様みたいな存在が目の前に降りてきて「これが答えです」って言ってくれたりしないので正解がどれだかは誰も言えないでしょう。
もし、断言するような人がいれば、それは宗教家か詐欺師です。
誰がなんと言おうと、失敗しようが恥ずかしい思いをしようが評価が出来るのは自分自身だけなのだと思えば、気が楽になりませんか?
※ 生きている場所(国や地域や企業)のルールは守りましょう
私はその視点が出来てから、自分自身のことも好きになれたし、他人の決断や違いを尊重できるようになれました。
そういった、考え方のお話や個人個人の方向性にフォーカスする為のグループセッション(魔女見習いコース)を不定期で行っています^^
今は1期を楽しくワイワイ進行中です🧙♀️