当分帰省することが出来なくなりそうなので今のうちに5日間ゆっくり過ごそうかと思って。
祖母はもうすぐ90歳だし、あんまり考えたくないけど会える時になるべく会っておきたいとも思っている。
そんな祖母に私はいくつか聞きたいことがあった。
それは、曾祖父はどんな人だったのか。
祖母の家のお仏壇の上には遺影が飾られていて、いつも曾祖母と祖父と会ったことがない曾祖父に手を合わせていた。
その曾祖父が、私が言っちゃあ何だが結構なイケメンで(白黒写真って美形化させるよね)、もし生きていたらどんなおじいちゃんだったのだろうかとも考えてしまう。
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8/6は靖国神社へ参拝した
8/6の朝、いつもの日課である九星気学で吉方位を調べてみると丁度靖国神社が吉方位だった。
軽い気持ちで行ける神社ではないと思っていたので、気にはなっていたけどずっと後回しになっていて、でも今回個人的に報告したいことがあって一人で参拝することにした。
飯田橋駅から向かって、立派な鳥居をくぐり無事参拝が出来たので、少し休憩がてら遊就館の喫茶店に入ることにした。
ちなみに靖国神社境内には遊就館が併設されていて、日本の歴史資料館となっている。
遊就館の拝観料は1000円。今回は一人だし見なくても良いかなと思った。
でも喫茶店を後にすると、いきなり豪雨が降り雨雲レーダーを確認すると1時間は止まないことが分かったので、これは見て帰れということかもしれないと思い拝観させてもらった。
遊就館を拝観して感じたこと
日本人が戦った戦争の数が私が知っている数よりもはるかに超えていて、私は全然知らなかったんだなと思った。
そして、軍服も展示されていて私の曾祖父と同じ制服は陸軍のものだったので、曾祖父は陸軍に配属されたんだな、と知った。(そんな知識もなかった)
因みに海軍のセーラー服は当時世界最強だったイギリスの海軍の制服を、陸軍の制服はドイツの制服をモデルに作られたらしい。
そして、徴兵された人達のお手紙や日誌が沢山展示されていて、一つ一つ読むことにした。
検閲があるから「お国の為」と冒頭に書かれてはいるものの、殆どが家族が平和に暮らすこと、愛する人の幸せを願うこと、等優しい文章で溢れていた。
まだ10代20代の男性の手紙だって沢山あった。
曾祖父は祖母や家族にどんな手紙を書いたのだろう。
一体どこへ向かったのだろう。(フィリピンとだけは昔聞いてあった)
殆どの人が、戦中に向かうのは嫌だっただろう、生きたかっただろう。
でも彼らはその時に亡くなっていて、平和な日本になって、今私たちが生ぬるく生活している。
私はこれで良いのだろうか。。。
祖母の話
(祖母の家で出された親戚の家で出来たスイカ)
祖母に曾祖父のことを聞いたら、1945年に赤紙が届きそれまで役所の職員だった曾祖父が陸軍として徴兵されたそう。
そして、フィリピンのルソン島のアンティポロから手紙が届いたのが最後だったと聞いた。
日本がもう敗戦することがほぼ決まっていてフィリピンでは日本軍が餓死したり、食糧目当てに現地を襲ったりしていた時だ。
曾祖父と戦地で一緒にいて帰国出来た人からは「我々の上官は本当にひどい人だった」と聞いたらしい。
きっと私が想像も出来ないほど大変な思いをしていたのだろう。
もしかすると誰かを殺してしまったこともあるかもしれない。
そして祖母も岡山空襲にあい、自宅地下の防空壕に避難しようとしたところ、町長さんに止められて親戚の家まで逃げて助かったらしい。
ネットで調べたところ、防空壕に避難した人達の中には蒸し焼きになって亡くなった人も大勢いらっしゃると。。。
もし、町長さんが止めてくれなかったら私が生まれてくることはなかったのかもしれない。
今の時代に生きる私たちができることを考えた
まず、彼らが繋げてくれた命や存在を大事にすること。
それは自分だけじゃなくて、他者に対しても同じこと。
そして今を生きることと、未来がより発展するような行動をとること。
それは命を繋ぐことだったり、仕事を通して誰かの生活を豊かにすることだったり、色んな方法があると思う。
後は、目を閉じてイメージしてみる。
彼らがどんな願い未来を託したか、どんな生き方をしたかったか。
当事者ではないので本当のことはわからないけど、想像してみることが大事だと思う。
過去を勝手に解釈したり、都合よく変えたりしないこと
戦争中の日本はアジアの代表として戦ってくれた、とか、侵略者だったとか、色んな見方ができると思うけど、過去は過去であって、私たちが勝手に都合よく解釈したってなんの意味もないと思う。
YouTubeには日本軍の素晴らしい指揮官などを紹介するような動画もあって本当に格好いいなーって思うけど、日本軍全員が素晴らしいわけではなくて、中には自己中な人だったり卑怯な人だったり、キチガイな人もいたと思う。
色んな事情や状況で正しい判断ができなった人もいて、誰かを悲しませたかもしれない。
今の自分たちに自尊心を持たせたり正当化するために、過去を都合よく書き換えたり解釈するのは、臭いものにずっと蓋をし続けるだけで、中でどんどん腐敗していくようなもの。
それよりは、起きたことや過去の何のフィルターもついていない出来事の記録から、これからの選択や判断に活かしていくことが本当の意味で過去を活かすことなのではないでしょうか。
8月はあの時代を生きた彼らに今の私たち報告をしてみる
日々慌ただしく生きていても、8月だけでも彼らに報告したいなと思う。
今、日本はこんな風に変わったよ。
今、日本と世界はこんな状態だよ。
今、世界ではこんなことが起きているよ。
今、私はこんな生活をして、大好きな人達がいて、こんな仕事をして何が好きでこれからどうしたいか。
これからもどうか私たちを見守っていてね。
keiko