コロナウイルスによって今は未来が不透明です。
今まで当たり前だと思っていたことが、この先いつまで続くことが出来るのか私たちには分かりません。
そんな中、とある男性のお客様から2年ぶりに占いのご依頼をいただきました。
(前回はオーラリーディングと占いをさせて頂きました。)
ビデオ通話での鑑定だったのですが、お顔を拝見した瞬間やつれた様子を感じ取りました。
そして、彼との会話は自分自身にも他の誰にでも過去現在未来起こりえる話だと思ったので、ここに残しておきたいと思います。
「最近友人からかなり美味しい仮想通貨の投資を誘われ入金した」
もうすぐその運用がスタートするので、その後を占ってほしい、、、とのこと。
私は「本当にそれを占って欲しいですか?」と聞きました。
入金した後はどうなるか、自身のコントロール外のことです。
しかも結果が吉でも凶でも、伝えたところで抱えている不安を解消できるかも見込めない。
「…占う以前の問題ですか、、、?」
彼は不安そうに言いました。
きっと不安で不安で仕方がなかったのでしょう。
私にはその気持ちが痛いほどよく分かります。
何か勤務先とは別で新しいことを始めようとするとき、守られていた環境から抜け出すことになるので、勧誘だったり、得体のしれない人種と関わる確率が増えます。
これから挑戦しようと広い世界に行こうとするとき、自分は無知だと思っているので、上手くいってそうな人からのアドバイスや紹介って知っておきたい!と思ってしまうんですよね。
私も過去に何度か美味しいお話が来たことがあります
一番初めは22歳の時。
当時mixiがまだ流行っていて、たまたまとある女性からメッセージをいただきました。
何がきっかけだったか覚えていないのですが、恵比寿でお茶することになって、食事の合間に体に良いサプリを彼女が私の目の前で服用し、私にもくれました。
そのあとお料理教室をやっているとのことで、友達があまりいなかった私は行ってみることにしました。
そして、とあるマンションの一室でお料理教室という名のデモンストレーションが始まりました。
市販の歯磨き粉と弊社の歯磨き粉の違いをアルミニウムを擦るデモや、、、
セットになったお鍋がいかに素晴らしいか。(その分高価なので、そりゃ良いものだろうよ)
等々。
そして自分たち、あるいは先輩(通称アップ)が如何に他の人たちよりも豊かか。
でもその出来上がったお料理が美味しくなくて、皆が美味しい美味しいと食べている温度差にだんだんイライラしてきてしまった。(御飯が不味いと不機嫌になるのは母親似)
終電には帰りたいと言っていても、「あともう少し」「あともう少し」と必死に止められ、帰りたかったから申し込み書を書いてしまいました。
(申し込みは無料だし)
急いで駅に向かったものの自宅最寄り駅の電車はもうなくてタクシーで帰る羽目になり、当時安月給だった私は必死に怒りを堪えたのを覚えている。
(堪えたっけ?)
翌日当時付き合っていた彼氏に経緯を話すと「職場にバレたら副業扱いで解雇される可能性があるので今すぐ解約して!」と言われ慌ててコールセンターに解約依頼を出し無事解約しました。
1時間後、勧誘してきた女の子からおびただしいメッセージが届いて「keikoさんは凄く思い入れがある」とか「凄くご縁を感じている」とか色々書いてあったけど、前日の怒りが収まらずブロックしました。
その時勧誘されたビジネスは、かの有名な『Amway』。
私は初めてネットワークビジネス(MLMまたは連鎖販売取引)というものを知りました。
そして、会社名を事前に名乗らなかったり、お料理会と言っておいて実はビジネスの勧誘だった場合は法律上禁止されていることも調べて知りました。
上京したての私にとって、『仲間が出来ること』が美味しい話に聞こえたのです。
それ以降、『ONE PIECE』が苦手です。
2回目は28歳の時
岡山でヒプノセラピーのお仕事を始め、でも上京したくて東京のクリニックに勤務しながら個人でもヒプノセラピーの仕事を増やしたいと思っていた時のこと。
当時、巷では自己啓発本が多く出回っていて(そのように感じていた)、バシャールや『神との対話』、『アルケミスト』、『引き寄せの法則』などの海外のニューエイジと言われるジャンルを読み、実践している40代の男女がインターネット上で多く見かけた。
それらの本を読むと、私もワクワクするし面白いなーって思います。
そして、実践者の人たちが『メンター』という人を見つけて、成功していっているストーリーをアメブロで書き連ねていました。
その中でも、個人がサービスメニューの予約受付が出来るツールでランキングが上位の男性の速読講座に好奇心で参加してみた。
そこでは、宇宙の叡智だったり、お金の法則、愛だったりをツラツラと教えてくれた。
そして講師は「今回の講座は6000円だけど、この情報なら皆さんいくらの価値があると思う?あ!100万円!?¢£%#&□△◆■!?」
(あれ、速読講座じゃなかったっけ…。)
その界隈では、その男性は天才とか王子と言われていて、悪い人ではなかったけど私の脳みそではついていくことが出来ないほど、ニューエイジな存在だった。
その後、ゆるくつながりを維持していたのですが(Facebookでつながっていたので)、私が転職を考えているときに、「ちょうどいいタイミングだ!keikoさんに紹介したい画期的なビジネスがある」と言われ、向かった先がネットワークビジネスのセミナーだった。。。
セミナー中、転職のための面接の連絡がありスマホをみていたところ、後ろの席の天才(王子)の秘書さんから付箋を渡され、読むと「セミナー中はスマホを見るのを控えて」と書かれてあった。
トイレ休憩中、私はそのまま帰ることにした。
その後、その天才(王子)さんからは別のネットワークビジネスを誘われた。
(じゃあ最初のビジネスはどうなったんだろうか、、、。)
が、その4年後、天才(王子)さんは仮想通貨で億万長者になったと風のうわさで聞いた。
もし、あの時天才(王子)さんと深く付き合っていたら、私も美味しい話に乗っかれたかもしれない。
そんな気持ちをフと感じながらも、その時私が尊敬していた人たちの生き方とは全く違うものだったので、「別に、それで良い」と思うことが出来た。
ただ、美味しい話は無いことは無い、ということに正直驚いた。その後、不動産関連の投資の美味しい話があることを知り合いから聞いた
投資には興味があって、どんなものかと説明会だけ参加してみた。
お話を聞くと、とても魅力的で自分自身の事業も応援してくれるし、投資だけで暮らしていけるかも✨と思える内容でした。
でも、私が感じる不安要素やリスクもあって、上手くいって願い通りになれば良いけど、上手くいかなかった場合に今まで頑張って稼いだお金がパーになってしまう可能性があった。
それってギャンブルじゃん。
成功した場合と失敗した場合に起こりうることをリストに書いたときに、周りの知人達がどんどん話に乗っかり、「なぜ申し込まないの?」と聞かれても、どうしても手を出すことは出来なかった。
きっと、その投資に関しては詐欺とかじゃなく穴場案件かもしれないけど、信用で成り立つビジネスや手を出した後に自分で調べて判断できなくなるものは、私にとっては大きなリスクだったことと、聞く限り『
ポンジスキーム』とよく似ていたのだ。
その後、その投資について悪い話は聞いていないので、私の不安はよそに本当に美味しい話だったかもしれない。
疑ってごめんなさい( TДT)
でも私は乗らなくてよかったと思っている
美味しい話には必ずと言っていいほど主要人物が存在する。
みんなその人を『メンター』だったり『天才』と呼び、神のように奉る。
私はトイレ休憩時に会場出口に向かう途中に見た、天才(王子)さんがネットワークビジネスのセミナーで更なる詳細説明の部屋の入り口に向かった後姿が忘れられない。
その後ろ姿は王子というよりは、明治時代に北海道の開拓の為に「簡単な仕事だから」と希望を抱いて、本州から北海道のタコ部屋に送り込まれる汽車の扉に意気揚々と乗り込む一人の男の後ろ姿に見えた。
こっちではない。
自分が出資した先がどこなのか関心を持つ
また、本当にその話が美味しい穴場案件なら良いとして、自分が一生懸命稼いだお金が一体どこに向かうのか気にしたことはあるだろうか?
私の中の独自辞書には『投資=応援したい何かに出資しその何かが時間をかけて成長した時に謝礼をもらうオーナーになること』と書いてある。
例えばポンジスキームの場合、その資金がどこに向かうか知っていますか?
(ここでは具体的な固有名詞を使わず、『ボルデモート卿』と言おう。)
そう言った紹介系のビジネスや情報商材ビジネスは、ボルデモート卿からすると簡単に資金が手に入るスキームです。
勿論、健全な企業もあると思いますが、知らず知らずのうちに間接的に犯罪や加害者に加担してしまう場合もあります。
そして、本当に健全で美味しい話ならただの知人ではなく自分の家族や大切な人に紹介するはず。
そして、もし私やあなたのことを本当に幸せになってほしいと思う愛のある人なら、美味しいルートではなく、自分の力を試せたり成長させるようにさり気無く支援してくれるだろう。。。自分がいなくなった瞬間に崩れ落ちて立てなくなる小鹿では困る。
(もっともっと自分の底力は信じたいものだ。。。)
自分が死ぬときにどんな人生に喜びを得ただろうか
これは各々色んな体験をしたくて生きているので、内容は違って当たり前。
でも自分自身に未来ヒプノセラピーをしたときに、「メンターが私を引っ張り上げてくれた」とか「アナザーワールドに誰かが連れて行ってくれた」等のイメージは出てこなかった。
一つ一つに「自分はこうしたい」「自分に出来ることはなんだろうか」「自分が頑張ることでどんな人が喜んでくれるだろうか、どんな楽しい世界が作れるだろうか」のやりがいが欲しい。
私が勝手に尊敬している人達には、口には出さないけどその意志を持っている。
私はそういう人には色気があると思っている。
それに比べて私は本当にまだまだだ。
美味しい話や誘惑が気になる時は、きっと自分の底力を信じられなくて誰かに引っ張り上げてほしい時だろう。
でも例えまだまだでも、口には出さなくて泥臭そうに見えても、笑ったり悔しがったり悲しんだりそんな生き方でも良いから、私は色気が欲しい。
何度も何度も『自分の底力』を信じよう!
…信じるというより、『自分のことは疑わない』の方がしっくりくるかな。
両方かな♪
keiko