結局自分はどうしたいか?
日々自分に問い続けることはとても大事なことだと思う。
昔観た大好きな映画『君に読む物語』で、主人公のノアが最愛の女性アリーに言ったセリフは今でも思い出します。
Young Noah: Would you stop thinking about what everyone wants? Stop thinking about what I want, what he wants, what your parents want. What do YOU want? What do you WANT?
Young Allie: It's not that simple.
Young Noah: What... do... you... want? Whaddaya want?
ノア「他の人がどう思うかなんて考えるのはやめるんだ。僕の望みも、ロンの望みも、君の両親の望みも考えるな。君はどうしたいんだ?君自身はどうしたいんだ?」
アリー「そんなに単純なことじゃないわ」
ノア「君の望みだよ。君の望みはなんだ?」
アリーのことを優柔不断という人もいると思うけど、私がアリーのような立場だったらノアを選ぶ勇気はあるだろうかって思った。
私たちは自分がしたいかどうかを決める以前に当たり前に物事が決まった状態で生きてきたのではないだろうか
特定の年齢になれば、幼稚園に行き、小学校へ行き、中学校へ行き、すでに答えが決まっているテストの成績の良し悪しで優秀かどうかが決まり(決まっているかのように錯覚し)、答えが用意されていないものを意識して選択していく機会って少ないのではないかと思っている。
(これはあくまでも私の感覚です)
学校に行くことが悪いことじゃなくて、ただ「自分で選んで、その結果を受け取る」という経験はもっともっと大事なのではないかって思うのです。
大人になっても「何が正しかったか」の答えを誰かに求めようとしていないか
誰かが喜んでくれることで安心していないだろうか。
誰かの機嫌が良くなったらそれが正解だと思っていないだろうか。
人の役に立つことは生きていくうえでとても嬉しいことだと思う。
でもそれ以前に「その選択はあなたにとって大事なことなのか?」が重要なのではないでしょうか。
誰かの為に行動することは、美しい生き方だなって思う。
でも、他人の反応なんて相手の状況や事情で後になっていくらでも変わるものでもある。
自分の気持ちがそうしたくて誰かの為にするなら、それはちゃんとした選択になる。
その結果がどう転んでも納得して受け取ることが出来るでしょう。
日々やらなければいけないことが多い日常で、意識して「誰かがああだからじゃなくて、自分はどうしたいか」を耳を傾けないと知らない間に歳をとって行ってしまう。
外側の反応を気にして選んで行くほど人生は長くないのです。
まずは毎日自分にどうしたいって聞いてあげましょうね★
旅する魔女 keiko