私はメンドクサイことに、自分がピンとくる表現をずっと探す傾向がある。
自分がスッキリするまで図とかを何度も書き直すし、
会社員の仕事でもスッキリする手順書とか書き直すしつこい性格の持ち主w
でも、そんなしつこい性格を私は結構気に入っています♪
見つけるまでは時にあーでもないこーでもない!!って一人でグルグルする時があるけど。。。
まぁそれでですね。
最近抱えていた「とある説の違和感」の正体をずっと、「違和感の正体は何だろう!?なんて表現すれば良いの!?」
って探していたんだけど、やっとピンっと降りてきた。
その違和感の対象は、次元上昇による二極化という説。
この説はスピリチュアルな人たちがよくネタにする内容で、
○○年になったら
「好きなことをして生きる人」と
「ネガティブに生きる人」が
二極化するから早く「次元上昇した方が良い」
というもの。
私はこのお話には段々違和感を感じてきました。
(何十年も前から度々言われているけど)
なぜ?
人は自分の世界を自分で作っているのに。
周りと自分は元をたどれば1つの筈なのに。
人はそれぞれが、自分の魂が成長する為に旅を続けているのに。
「あえて分けて考える必要があるのか・・・?」
「その助言を聞いて嬉しい人ってどんな人?」
すっごい屁理屈っぽいかな・・・?
次元上昇した人の世界は
同じように次元上昇した世界を見ているのに、
上昇していない別の次元の人がいると認識しているのか?
次元上昇した人と次元上昇出来なかった人がいると認めている場合、
その人は両方の次元を片足ずつ突っ込んでいるのではないか?って。
私はそんな無責任な説で誰かが先に行って誰かが取り残されるとかのネタは好きじゃない。
私はせめて自分と少しでもかかわる人すべては、みんな幸せでいてほしい。
まぁ。出来れば世界中の人が良いけど、自分の人生にも向き合う時間が必要なので、
そういう考えの人が増えれば自然とみんな幸せになるだろう、、、とここは能天気に考えてます。
この、『ペイ・フォワード』という映画の11歳の少年の発想は本当に素晴らしい。
「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」と問い掛けに、
悩んだ末に出した応えです。
『ペイ・フォワード(Pay It Forward)』Wikipedia
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。
中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。
トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。
だから私は二極化なんて存在しない。
私の認識では、
私が見ている世界は、自分と周りは同類または見えない共通点があると考えている。
それなら自分もみんなも全員幸せで良いじゃん!
ただ、人を操作することは出来ないし、
人生で経験したい事柄もそれぞれ違うので、無理に強制するものではないですが。
それでも、私は自分と自分の世界は一つである。これが私の認識です。
次元上昇(アセンション)の語源はキリスト教の昇天です。
アセンションとは、
キリスト教の教義で、復活したイエス・キリストが天にあげられたこと、またそれを記念するキリスト教の祝日と言われています。
私はイエス様のような生き方は出来ませんし、もっと貪欲で個人的な生き方で良いです。。。
っていうメンドクサイ私のつぶやきでしたw
最後までお読みいただいてありがとうございます。